黒田節の歴史的由来

文禄の役の停戦交渉が行われている頃、伏見の福島正則の屋敷に、 朝鮮から一旦帰国した母里太兵衛 (もりたへえ) が、 黒田長政の名代として挨拶に行きました。 そこで家中の者が集まって酒盛りが開かれました。 厭戦気分を吹き飛ばすという目的もあったようです。 先方に失礼があってはいけないと同僚から酒を飲むなと言われていたにも関わらず、 大好きな酒を前に席を外せません。

そのうち、大盃が持ちだされ、 福島正則が「これを飲み干せばどんな褒美も取らす」とふっかけます。 そこで母里太兵衛が名乗り出て、見事に大盃を飲み干しました。 母里太兵衛は天下の名槍「日本号」を所望します。 正則は「武士に二言はない」と潔く日本号を差し出しました。

日本一の槍を飲み干したのは母里太兵衛、 ああ名槍は黒田武士のものになったかあ。ああ黒田武士。 といった声がだんだん大きくなり、誰からともなく歌い出され、 しだいに大合唱になりました。

「酒は呑め呑め 呑むならば 日本一 (ひのもといち) のこの槍を 呑み取るほどに呑むならば これぞ真の黒田武士」

これが現代でも伝わっている民謡「黒田節」の由来といわれています。 「黒田武士」が「黒田節」になったのです。

母里太兵衛の豪快な気質を表すエピソードです。 思わぬことで名を残した母里太兵衛は、 大盃を手にしたご機嫌な銅像を黒田節の歌詞とともに博多駅前に残すことになったのです。 なお、日本号は現在、福岡市博物館に所蔵されています。

その後、筑前今様と呼ばれた福岡藩の武士たちに歌われていたものが日本全国に広まり、 雅楽の越天楽のメロディーに さまざまな歌詞を当てはめて歌う越天楽今様が元になっています。


横浜みなとみらい大ホールでの演奏例 (2015/04/14)

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