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現在練習中の福永陽一郎編曲の楽譜は、歌詞の一部の割愛もしくは順序の入れ替えがなされています。 とは言え、曲の全体像やその背景を理解するには、きわめて有用と判断し皆さんにご紹介いたします。 ぜひ,ご一読ください。 [ セカンドテナーのHさんから ] [ 参考 ] -- 原曲と練習中の曲との相関図:
原曲では、
練習中の曲では まず女声合唱団ロンドの演奏をお聴きください。 [ クリック ] ![]() 島原半島を半周する「島原鉄道」の島原駅には、「島原の子守唄像」が立っています。 長崎県は、松浦から諫早までの海岸線と諫早から南東に伸びる島原半島、 南西に伸びる長崎半島、北西に伸びる西彼杵半島、 そして五島列島や対馬等の多数の島々からなります。 映画「まぼろしの邪馬台国」の最後に、 吉永小百合さんが「島原の子守唄」(「島原地方の子守唄」ともいいます)を 切なく唄っています。 「島原の子守唄」は創作子守唄です。 島原鉄道の専務から作家に転身した宮崎康平氏が、実際にわが子の子守をしながら 山梨県の「縁故節」を下敷きにして昭和 30 年 (1955 年) に作詞作曲した唄です。 曲を聴くと哀愁深く聞こえてきますが、日本の子守唄の多くがそうであるように この唄もけっして爽やかな懐かしい郷愁がある歌ではありません。 子守唄は、本来は生活の歌なのです。 かつて島原半島や天草の農家の人たちは大変貧しく、 自分の娘を売らなければ生活していけないほどであったといわれています。 遠く中国や東南アジア各地へ売られていった娘たちのことを「からゆきさん」といいます。 つまり、「からゆきさん」とは元来「唐 (から) の国 = 外国」へ出稼ぎに行く人々を総称した九州北部の方言で、 とりわけ島原・天草出身者が多かったといいます。 島原の子守唄は貧しいがゆえに異国へ送られていった娘たち (からゆきさん) の悲しみ、哀れさ、一方で「からゆきさん」をうらやむ貧しい農家の娘の心を描写したものです。 子守唄とは、もともとは母親が子供を寝かせる歌ではなくて、子守りの娘が仕事の辛さを歌ったものでした。 その心を唄に託したのが、この「島原の子守唄」です。
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