柳河風俗詩の背景と歌詞の解説

北原 白秋 (きたはら はくしゅう、1885 年 (明治 18 年) 1 月 25 日 - 1942 年 (昭和 17 年) 11 月 2 日)は、 日本の詩人、童謡作家、歌人。本名は北原 隆吉 (きたはら りゅうきち)。 詩、童謡、短歌以外にも、 新民謡 (「松島音頭」・「ちゃっきり節」等) の分野にも傑作を残している。 生涯に数多くの詩歌を残し、今なお歌い継がれる童謡を数多く発表するなど、 活躍した時代は「白露時代」と呼ばれる近代の日本を代表する詩人である。
右の写真は白秋の生家。(福岡県柳川市: 水郷の町)


白秋 (26 歳) 刊行第 2 集「思ひ出」の末尾に、 48 の詩篇よりなる「柳河風俗詩」が収録されています。 合唱組曲「柳河風俗詩」は、この中から 4 編を選んだものです。順に解説します。


柳河

もうし、もうし、柳河(やながは)じや、
柳河じや。
銅(かね)の鳥居を見やしやんせ。
欄干橋(らんかんばし)をみやしやんせ。
(馭者は喇叭の音(ね)をやめて、
赤い夕日に手をかざす。)

薊(あざみ)の生えた
その家は、…………
その家は、
舊(ふる)いむかしの遊女屋(ノスカイヤ)。
人も住はぬ遊女屋(ノスカイヤ)。

裏のBANKOにゐる人は、…………
あれは隣の繼娘(ままむすめ)。
繼娘(ままむすめ)。

水に映 (うつ) ったそのかげは、…………
そのかげは
母の形見 (かたみ) の小手鞠 (こてまり) を、
小手鞠を、
赤い毛糸でくくるのじや、
涙片手にくくるのじや。

もうし、もうし、旅のひと、
旅のひと。
あれ、あの三味をきかしやんせ。
鳰 (にほ) の浮くのを見やしやんせ。
(馭者は喇叭の音をたてて、
赤い夕日の街 (まち) に入る。)

夕燒 (ゆふやけ)、小燒 (こやけ)、
明日 (あした) 天氣になあれ。




銅 (かね) の鳥居・欄干橋・遊女屋 (ノスカイヤ) など 三柱 (みはしら) 神社参道入口のたたずまいは全て静寂の中にある。 乗合馬車は止り、馭者は喇叭を口から離し夕日に手をかざしている。 この静的広角の展望は一転、遊女屋 (ノスカイヤ) 裏の縁台 (バンコ) へと絞られる。

場面は哀れを誘う継娘 (ままむすめ) の悲しみの描写となる。 母の形見の小手鞠を泣きながら巻いている。 継娘の律動的な動きは徐徐に加速され、やがてあたりを動的風景へと導いていく。

“三味線の音が聞こえるでしょう、 かいつぶりが潜んだり浮いたりしているのが見えるでしょう” と旅人へ呼びかけ、馭者は喇叭を鳴らし、乗合馬車は動き出す。

どこか遠くで子供達のわらべ唄も聞こえる。廃市は再び息吹を蘇らせる。

■ BANKOは縁台。スペイン語 Banco から。

■ 鳰(にほ)は水郷などに住む水鳥。 カイツブリ (鳰、鸊鷉 〈へきてい〉) のこと。

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