[ 0084: 切り裂きジャック ]


[ 湯会老人の調査報告 ]

突然、1888 年のロンドンに恐怖の夏が

ときはイギリスのヴィクトリア朝。 第 1 次産業革命による経済の発展が成熟に達したイギリス帝国の絶頂期でした。 ところが霧の街ロンドンで奇怪な連続殺人事件が起き、市民を恐怖のどん底に陥れます。

5 人の女性を猟奇的な方法で殺害した謎の殺人鬼は やがて「切り裂きジャック」 (Jack the Ripper) として知られるようになりました。 被害者は合計 5 人。いずれも女性で売春婦でした。 遺体の惨状の詳細をここで説明するのははばかられます。

検死結果によりますと犯人は人体の解剖学に関して相当な知識を持っていたと思われます。 たとえば 9 月 30 日早朝にホワイトチャペルにおいて Elizabeth Stride と Catherine Eddows が 1 時間以内のうちに相次いで殺害されました。 このうち Catherine Eddows の喉は切開され左の腎臓がとりだされていました。 さらに不気味な字で「Jack the Ripper」と記されていました。 犯人が自分をこう呼んだのです。

被害者の横には長いショールがありました。 これが最終的な決め手になることは当時のだれにも想像できないことでした。 スコットランドヤード (ロンドン警視庁) の懸命の捜索にもかかわらず、 犯人は捕捉されませんでした。

地理的な犯行範囲

「切り裂きジャック」による 5 件の殺人現場はそれぞれたがいに 1 マイルと離れておらず、 ロンドン東部のホワイトチャペルの中あるいはその近くで起きています。 当時ホワイトチャペルには 62 軒 の売春宿があり、1200 人 の売春婦が働いていました。 1888 年 4 月 3 日 から 1891 年 2 月 13 日 にかけて 合計 11 件 の残虐な殺人事件が起きていますが、 このうち 5 件が切り裂きジャックによるものされています。

被害者は次の 5 人の女性でした。 1888 年 8 月 31 日? (最初の凶行) から 11 月 9 日 (5 回目の凶行)までのことでした。 正式に公表されている実名は: Mary Ann Nichols, Annie Chapman, Elizabeth Stride, Catherine Eddowes, and Mary Jane Kelly.

犯人の推測

何人かの消息筋は「Jack the Ripper」は 実は「Jill the Ripper」だったのではないかと考えます。 「Jill the Ripper」は Mary Pearcey を含む女性集団で、 恋する男の妻と息子を切り裂きナイフで殺害した罪で 1890 年に死刑に処されました。それでこの可能性は消えました。

なお、同時期に起きた別の殺人事件は 「革のエプロン (Leather Apron)」という仮称の犯人によるものとされました。

捜査段階で絞り込んだ中には ポーランド系移民で 23 才のヘアードレッサーである Aaron Kosminski (統合失調症だったされる) が含まれていました。 Catherine Eddows の遺体の横に残されていたショールはのちに MRI (核磁気共鳴装置) で検査した結果、 もともとロシアのペテルスブルグで作られたものだったことがわかります。 Kosminski が持っていたとしても不思議ではありません。 ポーランドはロシアやドイツに抑圧された歴史を持っています。

犯人がロンドン警視庁に送った手紙

犯人は劇場型犯行を好んだのか、 何通かの手紙をスコットランドヤード (ロンドン警視庁) に送っており、 スコットランドヤードを嘲るとともに次の犯行予告も。 「Jack the Ripper」というあだ名はこれらの手紙から来たという説がありますが、 真偽のほどは定かではありません。

犯人の正体は?

ロンドン警視庁によるものだけでなく、 数え切れないほどの調査や推測がこの残虐な犯人に対してなされましたが、 犯人の名前、性別および動機に関しては当時は何もわかりませんでした。

殺害後遺体をバラバラにしたことから、 人体の解剖学にきわめて詳しい医学関係者であっただろうから、 その線で医学教育を受けた人々がまず第一候補。 あるいは大小の違いはあるものの刃物の使いかたが達者であろうから、食肉業者や散髪屋。 これらをスクリーニングしました。

被害者全員が売春婦であったことからその縁もしらべたそうです。 単にいきずりでだけでもよかったのか。どの線からも犯人は浮上しませんでした。

犯人女性説もありました。被害者が警戒なく近づけたから。 しかし実際に遺体に残された芸術的とも言える切り裂き (ripping) は、 当時解剖学を勉強することがまず不可能であった女性がなしたものとは考えられません。

かくして「切り裂きジャック」は歴史のかなたに消えたのです。

Kosminski のその後

Kosminski は今でいう統合失調症 (偏執的な精神分裂) であり、 1891 年に妹をナイフで襲ったため精神病院に収容されます。 1890 年代の中頃になって切り裂きジャックの凶行を目撃した人物があらわれますが、 正式な証言を拒んだためロンドン警視庁は Kominski を逮捕することができませんでした。 Kominski は 1919 年に壊疽で死亡しました。

しかし解明は終わってはいません

1888 年の 4 番目の犠牲者の遺体の横に置かれていたショールはその後も洗濯されることなく代々受継がれ、 ついにオークションで Russell Edwards という人の手にはいりました。

科学的手法でショールを分析

ここから解明のドラマが動きはじめます。数奇な運命をたどったショール。

時を経た唯一の証拠に科学的分析が挑戦します。 まず血痕は Catherine Eddows のものであるのがわかりました。 同じショールに付着していた精液は犯人のものと仮定します。

これから被害者 Catherine Eddows の子孫と加害者 Aaron Kosminski (Jack the Ripper) の子孫の DNA 鑑定 (ミトコンドリア DNA の照合) がおこなわれました。

結果は: 「Aaron Kosminski = 切り裂きジャック」だったということです。

ただしこの結論に異論をとなえる学者もいます。 ミトコンドリア DNA は母から子に伝えられるもので、細胞核 DNA のような決め手にはならない。 同じようなミトコンドリア DNA を持つ人は多くいるという趣旨です。 また他の学者が内容をチェックする手順を踏んだ科学論文誌には発表されていません。

ともあれ DNA 鑑定は捜査にあたって日本でも既に使われています。 血痕だけでなく唾液や汗から DNA が採取できます。 2008 年に東京都江東区で起こったひったくり未遂事件では、 被害者の手提げカバンに付着した微量の犯人の汗が犯人特定の決め手になりました。 なお、頭髪は DNA が発現したもので DNA 鑑定の対象外です。

教訓

本当に Kosminski が切り裂きジャックであったかどうかは更に今後の解明を待つしかありません。 ただ言えることは犯罪で証拠を残さないことはほぼ不可能であること。 犯行時点で残った証拠から有用な情報が得られなくても、 後世になってテクノロジーが進めば犯人が特定されることも十分あり得るということです。 犯罪など犯さない人生を生きましょう。


[ 千手春弥さんの異論 ]

この事件の真相に関しては別の記事 (0130) で書きます。 お楽しみに。

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