[ 0096: 大沢啓二氏 ]
以前マスコミが思い出したようにビデオで放映していましたが、
自チームのふがいなさに対してグラウンド上で土下座して謝った監督は空前絶後。
長嶋茂雄氏の巨人入団に関しても痛恨でした。
立教大学で長嶋氏の 2 年先輩にあたる大沢氏は、とりわけ長嶋、杉浦忠の両選手に注目し、
ご自身が南海ホークスに入団したあとは、たとえば長嶋氏に対して
当時破格の額の 「栄養費」 を毎月手渡す役をつとめるなど。
それが暗転。生真面目な杉浦投手が南海に入団したのに対して、
長嶋三塁手は当時の南海のオヤブンに向かって 「巨人にいかせてください」 と謝る。
このオヤブンこそ鶴岡一人氏でありました。半分憮然、半分諦念で 「ま、しょうがないわな」
このあたりのやりとりは後世ドラマ化すると面白いでしょう。
しかし長嶋氏以外 関係者は生存していませんし、長嶋氏が美しき恍惚の境地。
大沢氏は、けっきょく長嶋氏の 「歴史に残る豹変」 で顔を潰されました。
おめえ恩義ちゅうものを知らんのか?という思いは残ったのかと...
で、歴史はめぐる。潰れた顔は痛くないのか?
時は流れ、巨人は長嶋氏が引退して初監督を努めた途端、最下位。
嘘人「川上」V9 が去り、そういう時勢になりました。
王貞治選手を支える2枚目の強打者が絶対必要。
それで、巨人は最強最適の候補者として張本勲選手を求めるわけですが、
長嶋氏が交渉するトレード相手チームの監督が、なんと大沢氏。
このときの大沢氏の胸中に 「プロ野球の発展をささえてきたのは、何と言っても長嶋。
昔のことは水に流そう」 という思いがよぎったのか?
あるいはまだ遺恨が残っているのか? 昔の経緯を知るファンは息を呑んで、
タンカが飛び出すのを待ったものです。
水面下はどうであれ、トレードは成立しました。(なーんだ)
なお、王貞治氏も言っておられますが、現役時代の大沢氏は臨機応変、
一球ごとにピッチャーの配球に応じて右翼の守備位置を調整するワザあり。
たとえば、巨人-南海の日本シリーズ (1959/10/27) においては、
ヒットに見えるほどの打球を通常の守備位置から 20 メートルぐらい手前で直接捕球し、
犠飛として走った三塁ランナーの広岡選手を本塁手前で呆然状態のままアウトにしています。
捕手のブロックに対して突進しなかった広岡選手は当時「お嬢さんプレー」として酷評され
川上体制盤石化の一環としてトレードされる口実を与えました。
大沢氏は選手として良し、指導者としてオモロシ。
グラウンドを去られた後も、オヤブンとして慕う選手やら野球関係者が多くいたそうです。
( 昔の真実を知りたい湯会老人 )
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