[ 0112: 南方熊楠の十二支考 ]
南方熊楠 (みなかたくまぐす) 先生の 「十二支考」 は
明治 28 年 (1895) 創刊の雑誌 「太陽」(博文館) に毎年新年号に寄稿する形で連載スタート。
最初が 1914 年の寅年ですから、「虎に関する史話と伝説民俗」で幕を開けます。
先生はロンドン留学時代に仕入れた巨大な薀蓄を注ぎこみ、引用また傍証とどまるところを知らず、
読者を驚倒させつつひとり楽しむ風情。
たとえば、寅年に生まれた男子に「於菟」 (おと) と名づける風習があります。
北里柴三郎とともにドイツ留学した森鴎外が帰国後 1890 年に生まれた長男に於菟と名づけたのは
ドイツ風の Otto のもじりと思うのは間違いで、やはり寅年にちなんでおります。
森於菟さん (1890 年 = 明治 23 年 9 月 13 日 - 1967 年 = 昭和 42 年 12 月 21 日) は日本の医学者。
専門は解剖学。専門書の他に、父・森鴎外の回想記と随筆を著しています。
明治 23 年はやはり 庚寅 の年でした。
で、於菟という言葉は中国の 「左伝」 (春秋左氏伝) にあり、
楚では虎の異名でした。 ...
などなど、いろいろ話が飛んで面白いのですが、1923 年の関東大震災のため、太陽は休刊。
やむなく他の民俗学関係の雑誌に分載したものの、「丑」が抜けた「十一支考」になってしまいました。
( 中国文化に詳しい星楊令さん )
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