[ 0141: 湯会老人,仲島克郎,最高の柳河 ]
合唱組曲「柳河風俗詩」は
福岡県柳川市生まれの北原白秋 (1885-1942) の詩に
多田武彦が曲をつけたものです。
- 柳河
- 紺屋のおろく
- かきつばた
- 梅雨の晴れ間
われら「老練合唱団」も 2016 年定期演奏会で歌いましたが、
あまりいい出来ではありませんでした。平均年齢 76 歳でこなせる曲ではありません。
私が聴いた中で日本で最もうまい演奏は
https://www.youtube.com/watch?v=OWeUOpAJB_8 ですね。
もうし、もうし、柳河(やながは)じや、
柳河じや。
銅(かね)の鳥居を見やしやんせ。
欄干橋(らんかんばし)をみやしやんせ。
(馭者は喇叭の音(ね)をやめて、赤い夕日に手をかざす。)
薊(あざみ)の生えた
その家は、…………
その家は、
舊(ふる)いむかしの遊女屋(ノスカイヤ)。
人も住はぬ遊女屋(ノスカイヤ)。
裏のBANKOにゐる人は、…………
あれは隣の繼娘(ままむすめ)。
繼娘(ままむすめ)。
水に映(うつ)ったそのかげは、…………
そのかげは
母の形見(かたみ)の小手鞠(こてまり)を、
小手鞠を、
赤い毛糸でくくるのじや、
涙片手にくくるのじや。
もうし、もうし、旅のひと、
旅のひと。
あれ、あの三味(しゃみ)をきかしやんせ。
鳰(にほ)の浮くのを見やしやんせ。
(馭者は喇叭の音(ね)をたてて、赤い夕日の街(まち)に入る。)
夕燒(ゆふやけ)、小燒(こやけ)、
明日(あした) 天氣になあれ。
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BANKO はスペイン語から来た言葉で縁台の意味です。
鳰はカイツブリという水鳥。ちなみに同じ柳川生まれの
Mickey さんの旧姓は水鳥川 (みどりかわ)。
代々続く紺屋 (こうや = 染物屋) でした。
「紺屋のおろく」と関係があるのかも知れません。
( 老練合唱団にいた湯会老人 )
日本の合唱団は発音訓練をほとんどやっていません。
関学グリーは一時期「サ行」の発音をうるさく指導していましたが、あれはやりすぎ。
上品に聴こえればいいのです。
関学グリーや慶応ワグネルの「柳河」演奏にはあまり感心しませんでした。
詩の理解が足りない感じです。
[ 仲島克郎さんのコメント ]
私も楽譜だけは持っています。
多田武彦「男声合唱曲集 1」に収録されていますね。
「柳河」は: ト長調、4/4 拍子、♪ = 120 ですが、
途中で ♪ = 80 までテンポを落とす部分があります。
最初のトップテナーソロのところですね。
「薊(あざみ)の生えたその家は、...」で ♪ = 120 に戻りますが
80 のあとなので速く聴こえます。
トップテナーのソロ:
「馭者は喇叭の音(ね)をたてて、赤い夕日の街(まち)に入る。」の部分では
たいていの合唱団のソリストが 赤い
の音程をはずすか、裏声にひっくり返ります。
この演奏にはそういう破綻がなく、アンサンブルも優れていて上手いですね。
[ 湯会老人のコメント ]
思い出しました。
関学グリーで
指揮者である北村協一先生が「サ行」の発音をうるさく指導されていたのはこの曲です。
多田武彦作曲「雨」 ( 男声合唱組曲『雨』より )
雨の音がきこえる
雨が降っていたのだ
あのおとのようにそっと
世のためにはたらいていよう
雨があがるように
しずかに死んでいこう
https://www.youtube.com/watch?v=uC2IyshbyE4
昭和女子大学人見記念講堂は三軒茶屋 ( 東急田園都市線 ) にあります。
何回か行きました。
北村協一先生は
2006 年 3 月 13 日、肺癌のためご逝去。享年74才。
最後のステージは同年 2 月 26 日に行われた
「第 74 回関西学院グリークラブリサイタル」における
関西学院高等部グリークラブ、関西学院グリークラブ、新月会の合同演奏で、
多田武彦作曲の男声合唱組曲「雨」
(厳密にはステージアンコールの「雨」~草野心平の詩から)。
大勢の観客が見守る中での車椅子の指揮でした。
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( Wikipedia より )
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