[ 0143: 新撰組血風録 ]
[ いずれ劣らぬ銘々伝的傑作集 ]
15 の短篇から成る新選組物語。気の向くまま、どれから読んでも楽しめる構成になっています。
時系列を無視して「油小路」を冒頭にもってきたのは、
池田屋よりも酸鼻な争闘の一部始終の描写によって、内紛をかかえる新選組という特殊な運動体の性格を浮き彫りにする意図でしょう。
全編通読すると、主要人物が時代の流れの中で生き死にする姿が俯瞰できます。
同じ著者の「項羽と劉邦」を熟読玩味したとき独自の人間観察の鋭さに感嘆しましたが、
短い台詞や形容の中にもこれらが凝縮されています。たとえば、
沖田は「手の内を見せず背中を見せた」とか。
言われてみれば、なるほど。
そんな感じがあります。巷間いわれる単なる美剣士ではない したたかさ。
読者の人気投票では、やはり沖田総司や加納惣三郎 (今牛若丸)
が上位にくるでしょうが、個人的には函館五稜郭まで戦い抜いた土方歳三に興味があります。
土方がいなければ新選組は瓦解していたでしょう。
近藤がいなくなっても、次の近藤、次の近藤をかつげばよい。
しかし、かつぎ役やプロデューサーがいなければ多彩な人物は光らない。組織はほころぶ。
話として面白いのは「虎徹」。
評判が広まるにつれ引っ込みがつかなくなって本物だというのでは、
近藤の腰が締まらない。
いっそのこと「近藤が虎徹と言えば、それは虎徹だ」と開き直ってくれれば良かった。
煮えきらないから、無念な最期をとげます。それはそれとして、
真贋とは何かという本質論。事実、よく斬れた。
池田屋の階段を一気に駆け上がって、まっさきに血しぶきをあげたのは、やはり虎徹でした。
蛇足ですが、新選組に最初に興味をもったキッカケは、少年時代読んだ手塚治虫の漫画。
芹沢鴨 (ハム) が取的 (まだ昇進していない相撲取り)
を一人斬ったことに憤激した相撲取りたちと街頭での白昼の乱戦になります。
それがミュージカルのように描かれていて強い印象に残りました。
書き手、描き手ごとに、それぞれ違った新選組がある。
そういう余地を残すところも新選組の魅力でしょう。
( 湯会老人が obiwan3 名義で Amazon に書いた書評 )
ところで、疾矢君は「そんなの、朝メシ前だよ」が口癖。
2019 年 の 10 連休中の某日、疾矢君と莞爾君は数学の勉強会のため三奈さんの部屋に。
三奈さんが「泊まっていい」というのでそのまま合宿。
次の朝 疾矢君は 3 人分の目玉焼き (sunny-side up eggs) を作りました。
感動する三奈さん。
三奈 |
「疾矢君、おはよう。ありがとう。いつも早いの?」 |
疾矢 |
「そう、僕は朝メシ前主義だから」 |
三奈 |
「どういうこと?」 |
疾矢 |
「むかし漢の劉邦に仕えた大元帥韓信
(かんしん) がいただろう」 |
三奈 |
「あっ、思い出しました。井陘 (せいけい) の戦い」 |
疾矢 |
「あのとき韓信は兵法に反する背水の陣を敷いた」 |
三奈 |
「うん、わかってる」 |
疾矢 |
「作戦には常に利と不利がある。韓信は逆手にとった。
背水は逃げようがない。兵士は必死に戦う」 |
三奈 |
「韓信はタイミングを図り、偽って退却したんだっけ?」 |
疾矢 |
「そこに敵軍は戦利品を漁ろうと戦を捨ててむらがる」 |
三奈 |
「そのとき別働隊が敵の城を占領したのね」 |
疾矢 |
「そうそう。圧倒的な不利が圧勝に変わった。
そのあと自軍に朝メシを食わせた。 これを朝メシ前という」 |
莞爾君も起きてきたので 3 人でトースト、野菜サラダ、ウインナー、コーヒーなどを用意。
疾矢君は早起きではあっても「完全主義」ではなかったのです。
今は全部作っているようですが。 (笑)
[ 星楊令さんのコメント ]
兵法といえば「孫子」 (孫武が書いたとされる兵法の書) ですが、
韓信がとった作戦も独創性にあふれていますね。
まず関中侵攻の手始めとして章邯を水攻めで攻略し、
魏を攻める際の筏は木の桶と槍で作りました。
斉+楚の連合軍を濰水でほぼ壊滅させたときは上流にしかけた土嚢を一気に壊し
「敵の半渡(はんと)に乗ずる」という方法をとりました。
まさに臨機応変の智将と言えます。
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